出湯温泉物語

新潟県最古の湯、五頭温泉郷出湯温泉。江戸時代から続く旅館「清廣館」より出湯温泉で広がる物語をお届けします。
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電気山道

こんにちは。ここ出湯温泉でも、本日梅雨が
明けたようです。いよいよ夏本番です。

日曜日の昨日は出湯温泉にとりましてすごく
記念すべき一日となりました。

お隣の畑江集落にある、全国森林浴100選にも
入っております、県民いこいの森へと続く遊歩道が
素敵に生まれ変わりました。
出湯と畑江の有志の方々と新潟県・阿賀野市役所・
阿賀野市観光協会様をはじめとする多くの方々の
お力添えで、とても散策のしやすい魅力的なフットパスに
パワーアップです。

こちらの遊歩道は環境省が選んだ「中部北陸自然歩道」
にも選ばれていまして、まさに大自然を感じられる
場所なのですが、正直を申しまして、一人で通るには
ちょっと勇気のいる(おそらく女性一人は結構アドベンチャー
な感じです。)、歩くにはそれなりの心構えが必要な道でした。

数年前に何度か出湯温泉の若女将さんや、ヨガの
先生たちと実際この道を通って、お隣のいこいの森へ
行ったことがあり、「せっかくこんなに素敵なルートが
あるのだから、いつかもう少し歩きやすくなったらいい
のになぁ。五頭にいらっしゃる皆様にもっと五頭の自然を
楽しんでもらえるのになぁ」とずっと心の中に秘めていました。

数年越しの、淡いかなわぬ恋のような夢話が、
このたび何ともスムーズにとんとんと話が進みまして、
長年の希望が現実のものとなってくれました。
本当にありがたいことです。いろんなタイミングが良い時期に
重なり、物事が動く時って、こうもすんなりと進むのだなぁと、
鳥肌が立つくらいです。


数日前からお隣のご主人と出湯集落の区長さん
(ちょっぴりだったかもしれませんが、私の父も)で
お忙しい中、当日の作業が滞りなく進むようにと、
下準備をしてくださいました。





この日はとても暑かったのですが、一歩森の道へ足を踏入れると、
そこはひんやり別世界。日差しは明るいのですが、とても過ごしやすい
気候です。

上を見上げると、


視力が回復しそうな、綺麗な緑色が広がります。

途中には、綺麗な小川も流れています。見ているだけで
涼しさを感じます。






さてさて、昨日はいよいよこの道をおめかししていきました。
総勢30人くらいのお力で、ぐんぐんと歩きやすい道へと
変わっていきます。暑くもなく、雨もない、パーフェクトな
曇り空は絶好の作業日和でした。ありがたや。

敷き詰めていきましたのは、私ども阿賀野市の特産
「安田瓦」でできました「ガラッコ」と呼ばれる、製品にならないで
しまった瓦を砕いて再利用した、砂利のようなものです。
エコですし、地産地消ですし、まさにサステイナブルな
素材です。 こちらのガラッコをショベルカーでトラックに載せ、
それを遊歩道へと運びます。



運ばれたガラッコはこうしてみなさんの手により平らに広げられていきます。






9時から作業を始めて、13時くらいには、この日の目標区間の
作業を終えることができました。

待望の遊歩道の完成です。やったぁ。





本当にパワーアップしました。嬉しくって嬉しくって、
頬がゆるゆるにほころびます。

(最後に皆さんと記念写真撮るのを忘れたのが
悔やまれてなりません…相変わらずのうっかり者です…)

作業もさることながら、夕刻から繰り広げられた、
笑いの絶えない慰労会がとても楽しい雰囲気で、出湯温泉は
いい場所だなぁとしみじみ。

この遊歩道ですが、実は出湯温泉では通称「電気山道」と
呼ばれています。さかのぼることおよそ100年ほど前の明治
40年、いこいの森を流れる「大荒川」に発電所が建設されました。

新潟の町に電気を提供していた新潟電灯会社が、それまで
火力発電で使用していた石炭の高騰と、電気需要の増大から、
新たに水力発電を起用して、そこで当時の社長のお目に
留まったのが、新潟市よりもっとも近い、ここ大荒川の水力
であり、こちらに「新潟水電気株式会社」を設立したそうです。

工事の着工とともに出湯温泉には出張所が設けられ、
今でいうエンジニアの方々が在任し、また住民も多く人夫と
して参加し、はたまたこの工事のためによそから移住して
来た人もいたそうです。発電所への道が、そう、まさに
この「電気山道」なのです。

(余談ですが、我が家に残る発電所での伝説がありまして、
うそかほんとか、私の曽祖父は川にかかる電線を伝って
渡ってみせたそうです。なんとも…ひいおじいちゃん…)

一世紀前に熱い思いを持った出湯温泉の先人達が作り
上げてくれたこの道が、再び今出湯温泉で生きる私たちの
前にこうして蘇ってくれたのだなぁと思うと、何とも感慨深い
ものです。

携わってくれた皆様に深く深く御礼申し上げます。
ずっと残したい出湯温泉の愛おしいたからものがまた一つ
増えました。

五頭にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。


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板碑

こんばんは。
今日の出湯温泉は小雨交じりの曇り空が
広がる一日でした。台風により被害の出ている皆様に
おきましては、心よりお見舞い申し上げます。

今日は歴史のお話をひとつ。先日長岡にある「新潟県立
歴史博物館」へ行って参りました。

ただ今開催されている展示が「石仏の力」という
ものでして、県内各地の様々な石仏が集まっています。



今、巷では石仏がブームだとか。
私は中学生のころから歴史が好きで、今回の企画は
逃さず訪れたいと思っていました。

なんと、この企画展に、出湯温泉の華報寺(けほうじ)様の
とある石も出展されていました。

こちらの石、画像がないのですが、「板碑(いたび)」と
言いまして、長方形の石に「南無阿弥陀仏」と彫刻されて
います。この「南無阿弥陀仏」という書体は大きく分けて
二通り、楷書体と行書体があるそうなのですが、こちらは
後者の行書体スタイルで、なんでも、この書体の板碑は
全国的に見ましてもすごく珍しいものなのだそうです。

新潟県域には約800基ほどの板碑があるそうですが、こちらの
板碑が最も古い年紀をもつ自然石の板碑なのだそうです。
しかもこちらは、新潟県最古にとどまらず、この書体の中では
日本最古のものだとか。

こんなすごいものが、ほんの目と鼻の先のお寺様に
あるなんて、ちょっとすごいことだと思いませんか。
博物館から戻ってきたら、ぜひもう一度拝見したいと思います。

こちらの企画展、他にも、興味深い展示品がたくさんでした。
展示は11月24日まで開催されています。ぜひご興味のある方は
お出かけになってみてください。

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出湯温泉の名前の起源

こんにちは。ようやく出湯温泉も先日梅雨明けしました。
目を細めて空を見上げると、さんさんと輝くお日様の姿が。
お日様からエネルギーをたっぷりもらいました。

先日、妹から投げかけられた質問があります。
「出湯温泉が出湯温泉と呼ばれ始めたのはいつくらいからなの?」

「ごめん、わからないわぁ」が彼女への答えでした。
こんなときは、お隣の考古学者、川上先生に伺うのが一番です。
(最初に出湯が温泉だったことが載っている古文書は
「湯川条」と出ていたよなぁとぼんやり覚えていたのですが・・・)

お忙しいお仕事の合間にお邪魔してしまいましたが、
早速答えを伺ってきました。

出湯温泉の「出湯」 という名前が出てくる、、おそらく最初の書物
(信用できる書物)は、南北朝時代に書かれた「神道集(しんとうしゅう)」
という物だそうです。作者は不明なのですが、この本は、名の知れた
お寺のお話が書かれていて、その中に出湯温泉の華報寺も出でくる
のこと。
何でも、出湯華報寺(けほうじ)の良観(りょうかん)和尚が妖怪退治をした
というお話が載っているそうです。そこで「出湯」という地名が使われて
いる模様。少なくてもその頃には、既にこの地が「出湯」という地名で
世間に知られていたということになります。

まだ文字が発達していなかった頃、そして、文字が発明されてからも、
文字を使うことが出来たのは、ごくごく限られた人々でした。
人々は音の響きでもってコミュニケーションをとっていたのでしょうが、
「湯」が「出る」から「出湯」とは、なんともシンプルで且つわかり易い地名です。
(ちなみに、以前川上先生からうかがったのですが、出湯温泉の漢字の
逆並べ、「湯出」という地名が九州にあったようです。)

せっかくですので、先ほどの「湯川条」についても改めて読み返して
みました。

ありました、ありました。
1238年に書かれた古文書、「大見文書(おおみもんじょ)」
です。この書物の中に「白川荘猿田村并湯川条・・・」と出ていて、
「湯川条」というのが温泉を物語っているそうです。このお話はまた後程
いたします。

今日は、出湯温泉の新たな歴史の一場面が発見出来き、うれしい
一日となりました。質問してくれた妹と、それに答えてくださった川上先生に
感謝です。
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温泉番付:越後出湯の泉

こんにちは。

これ、ご覧になったことございますか。



見た目、相撲の番付表に見えるかと思いますが、
よくご覧いただきますと、右上に、「諸国温泉功能鑑」と
記してあります。

これは、温泉番付表と呼ばれているものです。
温泉番付は、江戸時代に考えられたもので、相撲番付表に
見立てて、諸国の温泉を格付けしたものです。当時は、
見立て番付表が流行していたようで、他には、歌舞伎役者の
番付表なんかもあったようです。

さてさて、この温泉番付表、結構色々なところで作成
されており、作成された場所によって、多少の順番の
変化はあるようですが、当時の最高位であった大関には、
草津温泉と有馬温泉が選ばれています。

実は、ここ、出湯温泉も、「越後出湯の泉」として選ばれているん
ですよ。少し小さくて、ご覧いただきにくいかもしれませんが、
左の方一番下の段、右から5つ目に載っております。

日本全国、津々浦々に温泉は多数存在していますが、
出湯温泉がこんな全国版の格付け表に選んでもらえたとは、
とても喜ばしいことであります。自動車なんてもちろんなかった
当時、江戸からは結構な距離だったにも関わらず、中には
この番付表をご覧になった遠方の方たちが、何日もかけて
この地まで足を運んでくださったのかなぁと考えると、
とても感慨深いです。



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